お知らせ
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アフリカの国から
2022年12月17日先日アフリカから針灸に興味があるという方が来られました。
アフリカの国で医師の資格を持って日本の大学でも勉強しているみたいです。
ただアフリカの奥地では未だに呪術的なものが主流なものがあったりして
その方は日本の伝統的な民間医療にとても興味を持っておられました。
そのために手相、四柱推命,易学なども勉強してみたいと言われていました。
コロナがまた増えてきているようですが外国人もたくさん入ってきています。
うまくバランスを取りながらいくとみんなハッピーになるのにな -
コロナが生み出したもの
2022年11月21日コロナがなんとなく日常のなかに普通にあることになんだか慣れてきたような気がします。
夜歩く人が少なくなったと嘆いておられるコンビニの定員さんや、
ある程度の補助金が入りなんとか会社を回している経営者の方と話すとそれぞれ悲喜こもごもって感じです。
コロナが生み出したのはあらゆる短縮、
寿命が切れそうな人は感染によって命の短縮、
移動距離の多いサラリーマンはリモートワークで仕事時間の短縮、
子供たちの遊び場の時間や場所の短縮
今まで持っていた価値観ががらっりと変わり、見向きもしなかったものに注目が集まったりするかもしれません。
短くなった時間はなにか新たな時間を生み出すかもしれません。
新しい格差を生み出す時間
家族、近所、コミュニティの時間
架空現実における時間
短くなったものは何らかの形で長くなるそんな気がしています。 -
遺伝子検査
2022年10月14日遺伝子検査なるものを受けてみました。
いろんな項目がある中でどの疾患にかかりやすいかとか、体質とかを遺伝子レベルで解析してくれる郵送のキットです。
唾液を送って数週間待っていれば検査結果がメールでお知らせしてくれます。
おそるおそるのぞいてみるとなんと一番かかりやすい病気は肺がんでした。
呼吸器が弱いとは思っていたものの実際に遺伝子レベルでもそうなのかと納得せざるを得ません。
他にも面白い項目があって自分のルーツをたどるもので
母方のミトコンドリアの型からどういったルートを通って今の自分があるかというのがわかるもので
アフリカを起源として中東を渡ってインドの方向から東南アジアに渡って日本に定住したグループらしいです。
同じようなグループに養老孟司さんがいました。 -
マツタケの時期
2022年09月03日こないだ来られた年配の方の亡くなり方について話していました
イヤーピンピンコロリといきたいな
でもなかなか行かせてくれない.
その方の親御さんはこんなことを言っていたらしい
タケノコの生える時期とマツタケの時期にいきたいといわれていた
熱くも寒くもなくみんなに来てもらいやすい時期だからそうだ
ものすごく暑い時期は寒い時期はみんなに迷惑がかかるからだと
といっていたらタケノコの生えるこの時期に亡くなったそうだ。
なんともなくなる時期までもコントロールできるのだろうかとふと思った。ある方の話では病気がちな方がおられてその方が会いたい人がいるといわれていた。
会いたい人に会ったらその帰り道のバス停で亡くなっていたという。
年寄りを安心して喜ばしてはいけないと昔の人は言っていたがそういうことなのかと思った。亡くなっても会うことがあまりできないこのご時世からすると
死の瞬間に立ち会えるというのも
悲しくもがな貴重な経験と言わざるを得ない。 -
安倍元首相銃撃事件について
2022年08月04日今回の事件は決して許される事ではなく、厳正な法の裁きを受けるのは必然です。
ただ犯人の生い立ちや事件の背景を見ていくうちに、なんだか身近な事のように思えてきました。
わたし自身も犯人と同様に幼い時に父を亡くし母が新興宗教に走りました。
また犯人の年齢とも自分は近い。
育ったところが田舎だったので余計に母子家庭で新興宗教は目立っていた。
今から考えると世の中に対しても何をするにせよ背を向けて生きてきたように思う。
犯人自身も同じように苦しく辛い経験だったように思う。
ただうちには祖父母がいたし、そこまで献金するような母ではなかったのでちゃんと子供達にも教育を受けさせてもらう事ができた。
これにはただ感謝しかない。
ただなぜ父は死なないといけなかったのか?
なぜ母は宗教に頼らざるを得なかったのだろうか?
と思うと夜も眠れない事もあった。
父は今のJR昔の国鉄に勤めていた。
真面目な性格で残っているアルバムをめくるたびにその几帳面さをかいまみることができる。
人生の中でたぶんいろんな障害が出てくる中で解決策がお酒だったように思う。
ようはお酒に飲まれていたのである。
よい酔い方ではなく日常を破壊する飲み方だったのだろう。
今でも幼いながらもいなくなった日の出来事は鮮明に思いだす。
直接の原因はなにかわからないが推測だけが未だに一人歩きしているから困ったものだ。
だから母を見た違う世界が見える人には消化しきれていない思いが見えていたらしい。
自分の抱えてきたことを、解決したかのように世の中がよくなるよ。
また父に会えるなどと言われるならば母の気持ちも動いたのだろうと思う。
母はなぜ宗教に走ったのかもそこを紐解くと見えてくるような気がしてならない
そんな母も認知症になり病院のお世話になっている。当然宗教からは遠ざかってしまった。
母は納得のいった人生を送っていたのだろうかといまだに思う。 -
虎をいただく
2022年07月09日今年の干支である虎
あみぐるみをされている方がくださいました。
細かな作業で大変ですが作ってくださいました。
糸もいろんな種類があるんですね。知らなかった。
これからオリエンタルで出迎えます。
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フードバンクに寄付しました
2022年07月08日小さなころは食べるものに必死でした。
お菓子は自由に買ってもらえなかったので
親戚や近所からお楚々分けをたくさんいただきました。
おかげさまで今があります。
少しでも困っている家庭に届ければ
フードバンク岡山 -
死に際にわかること
ちょっとこの業界長くやってきた持論としてあるのが
死に際になると素直になるということです。
死に際になると本能に忠実になり、自分の欲しいものしか受け付けなくなる傾向があり、ありきたりの世辞やおべっかではなくその人そのものが出てくるように思います。
末期になると小さな赤子のように水分しかのどを通らなくなる。
その人のそのものに触れることによって触れてはいけない
墓場までもって行かなくてはならない秘密さえも出会うこともあるのです。
ある人は家族にも言っていない他の子供の話や
ある人は戦争に行ってたくさんの人を殺害した話や
言いたくない、隠したいことが出てくる。
晩年になって自分のことを語る人が増えるのも事実ですし
自叙伝を作ったりするのもそうかもしれません。
なにかを残したくなる。
吉備高原の近所にも自分の公園なるものを手作りで作った人もいた。
故郷というかところに自分のあかしを残したいそういった思いが強く出てくるのではないかと思ってみたりするのです。
素直になると何がいいって素直になることがこちらもできるということです。
へたに下衆の勘繰りを入れなくても済むというものです。
以前来られていた方で真面目でしっかりとした会社の社長さんがいました。
女性の事ばかりを考えてると言っておられました。
はっきり言って正直でびっくりしました。奥さんも亡くなられて一人ではさみしいと
そういったものはなくなっていくのかと思いきやそうではないと・・・
人間って面白い -
業界言葉
2022年07月02日自分でも言っているし、施術を受けに行っても言われる言葉
曲がっていますね。
ねじれていますねいや気になるフレーズですが
もともと思うのですが
まっすぐな人って
いないのですから曲がっていて当然ですし
ねじれていて当然です.
しかしそこに何らかの障害があるなら問題でしょうけれども
ねじれや曲がりも
毛糸が糸を紡いでいくように
ねじれてねじれて
どんどん太くなっていくと
糸になる
その糸をどんどんねじってねじっていくと
綱になる
いやもう綱になったらいいでしょ
ねじりが自然な形
曲がっているのが普通な形
日本人には枯れて曲がった奇形を愛でる盆栽という文化もあるのですから
それをまっすぐにする必要なんてあるのかと
自戒を含めて想ってみる。 -
一人暮らしの孤独
2022年06月13日一人暮らしの長い方を行かせていただいていた。
病気を抱えている身としてはなるべく人様にお世話になりたくないと考えている。
男の方だったもので人に甘えるというのも難しい感じの方だった
今まで自分で簡単にできていたことが一つずつできなってくるというもどかしさは筆舌しがたいものがある。
もっと広い視野で!とか考え方を柔軟に!というのは、病気を重ねた高齢者に届かないだろう。
やり方も自分流のやり方をやってきたから介護や医療関係者とトラブルになることは多々ある。
だからおのずと出てくる言葉は弱音でありマイナスの感情のものばかり
仕事として接するには問題はないが身近にいる身としてはどうも居心地も悪いし、会話の糸口もつかむことが難しいから近所の人や親せきも敬遠していくのだろう。
こんなに頑張って生きているのに何で報われないのだという声なき声がいつも触れるたびに感じることになる。
でもその方の唯一の癒しは猫だった。
その猫のお世話をすることだけが生きがいでもあるようだった。
自分の痛みを辛さもその猫の前でなら素直になれたのだろう。
見たこともないようなかわいがり様だった。
その飼い猫も当然ながら年を取る。
排泄もうまくできなくなりオシメをするようになり歩く姿もよちよちになった。
そうしていたらいつの間にか亡くなってしまった。
猫の仏壇がありそこに位牌があり線香の煙だけがいつまでもたっていた
その数か月後その方も家で生活することが困難になり施設に行かれた。
なんとも猫の力は偉大だなと思う。
自分のふがいなさとともに