お知らせ
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夢の話
2022年03月31日夢の話をよくされる方が来られた時期があった。こんな夢を見た!あんな夢を見た!
と言われなにか意味があるのか?と問われたが、うまく答えを言えないがままになっていた。以前行かせてもらってる方が亡くなる前に
亡くなった人がたくさん出てきた。
でもなぜかこっちのほうは振り返らないし顔も見えないと言っていた。
まだお迎えは来ないかもと言っていた。余命宣告されていたが頑張って家族のために生きておられた。
その方も夢の話の後数か月で旅立った。最近どうも夢にうちの母がよく出てくる。
初めの方は夢の中で元気に話していたが、いつのまにか顔にモヤがかかったように何もいわなくなった。
そんな夢を何回か見た。
母の思いを感じる頃は顔にも表情があったが、それがなくなると顔の表情さえも無くなっていくような気がする。
この仕事についたきっかけは母の偏頭痛をよくすることだった。
母の世代の知人も病気や亡くなるのを耳にするようになった。いつのまにか年を重ねているんだなと。
母の思いが弱まるとなんだかなんでこの仕事をしているのか?
と考えたくなることもある。
でも最近はただまだ見ぬ自分の発見のためだと思っている。
まだ出会ったことのない感覚や感情をリアルに受け入れたい。
それから次の課題が見つかっていくのだと
夢は自分の宿題かもしれない。 -
毎年応援しています
2022年02月10日コロナ禍で海外で頑張っておられる姿にはすごいの一言
自分が今のみでできることから -
新年の幕開け
2022年01月04日 -
給付金の使い道
2021年12月17日給付金の使い道です。
カレーは大好きなので
多文化共生のまち岡山をPRする「カレーらぼ」を作りたいうちの子供と同じ年齢なので
重度の心臓病と闘う小学4年生のゆうちゃん。海外移植手術を実現したい -
じっと手を見る
2021年12月09日石川啄木のじっと手を見るではないけれどもときにじっと手の平をみることがある。
あらゆる線が意味を持っているのかもと思っていたこともあったが
思いを先に線を後にと思いながらやってきた。
ようは未来は作られていくと思いながら
確かに思い描いた完璧な未来ではないにしても朧げながらの納得のいく現在になっているので毎日が楽しくもあり面白くもある。
前に行ったり後ろに行ったりと揺れ動いている。
酩酊しているかのように時に躓いてみたり転んだりもする。
前の自分なら転んでしまった足にケチをつけるもんだが、ケチをつけるのもなんだかな?と思うふしもある。
それが大人になったという事かもしれない。 -
母の認知症
2021年11月20日一昨年より母の様子がおかしくなりました。
以前から病院通いはしていたのですが病院行く回数が増えて
辛い!辛い!と訴えるようになりました。
病院に行ってもどこも悪いところは見つからず
精神的にまいっているのでは?ということで精神科にも受診し
鬱などの症状に効く薬も服用していました。
自分のできることはと思い探しては鍼や整体などをしましたし連れて行きました。
極めつけは物がとられたと言って警察を呼んだことです。
警察の方が来ていろいろ見てもらいましたが取られたような形跡はありません
結局取られたであろう財布はタンスの中から見つかりました。
それからというものの幻覚の症状がきつくでるようになりました。
誰か知らない人がいると言って近所の人に駆け込んでは近所の人から電話がありました。
施設に入る前には幻覚が見えていて見えていない人とずっと話しているような状況でした。
かなり厳格な母でしたので、このように壊れていくことがなんとも不憫でたまりませんでした。
母は助産師でずっと父が亡くなってからは近所の医院で働かせてもらっていました。
その後医院の院長先生がやめられてからは介護施設で働いていました。
もともと助産師でしゃきしゃきした性格でした。
一時期はお産をにかかわる何かをしたいということで
保育園と老人施設が一緒になったところに見学に一緒に行ったりしたこともあり活動的でした。しかし昔から片頭痛があり月の半分は寝込んでいたりしました。
寝込んでいるときには今から考えればよいかどうかわからないのですが
肩たたきで痛いところの箇所をたたかされたものです。
今から思えばそこで一生懸命叩いても仕方なかった。
他のところもたたいていたらと悔やまれますがしかたありません。
母はクリスチャンでしたので戒律や規則に縛られ家族も強要されました。
自分は自分というスタンスが出来上がったのも強制的な母のおしつけがあったのではないかと思っていますし皮肉なことです。
自分の子供に強制的に何かを強いていないかと言えば噓になります。
シングルで育て上げてくれた強い思いがそうさせたのだと思うと少し親になってみて理解できるようになりました。
よく寝込んだ時にでも
母は強しと言っていたのが今でも覚えています。
でも母は強しと少しも思っていませんでした
いつなんときに孤児院とかに行くことになるのだろうと
びくびくおびえていたのも事実としてあります。
早く人並みに生活しなければというのが根幹に芽生えたのもその頃でしょう施設に行くことになった決定的なのは
ほかの家に隠れて出てこなくなったのです。
本人としては何をしているかは後になって分かるのですが
今は何をしているかはわからないような状態でした。
また施設の職員さんと取っ組み合いの喧嘩などもしたりと問題になりました。
携帯が鳴るたびにドキッとしたものです。
体が痛くてどうしようもないのも困りものですが
脳機能が機能しなくなるというものなんだかどうしようもなさを感じます。
そんな中介護施設の方などや近所の方には本当にお世話になりました。
今はコロナであまり病院には行けませんが施設で穏やかに生活しています。
これからも少しでも寄り添うことができたらと思っています。 -
マクベス
2021年11月02日
数か月に一回行っている市民劇場の公演がありました
今回はマクベスでした。
名前をうっすらとは聞いていたものの詳しくは知りませんでした。
蜘蛛の巣城という映画は見たことはあるのですが
人間の欲望に取りつかれた王様の話で現代にも通じることがたくさん話に織り込まれていました。
小さな子供も行っていたりしてとてもわかりやすい内容でした
演者さんも外国の方であったりして少しびっくりしました。
コロナの患者さんもすこしずつ減ってきているようなのでなんとか
公演も続いてほしいものです。 -
応援と興味
2021年10月05日吉備高原に住んでいた時の知り合いの方がクラウドファンディングに挑戦です。
こどもの絵から作るオリジナルグッズをたくさんの人に知ってもらいたいこれから来るであろうメタバースへの興味から
衛星データとAIを活用してバーチャル空間に「世界」を自動生成するプロジェクトアート好きとして
障がい者アートを日常に。誰もが活躍する場をつくるアートプロジェクト -
クレームに隠れている心
もっともっと強くしてほしい
全然効かなかった
などと言われる方がおられます。
面と向かって言っていただけるのはありがたいほうで
合わないとか,効かないと思ったら来なくなるというのが自然
まあ未熟な部分で自分の至らなさというのも確実にあるのは確かです。
でもこの要望の奥にはいろんなものが隠れていると思うのです。
強くしたからと言って初めて相手の心の扉というかコリの扉が開いてはじめて心からお話できるということはあります。痛い~そこを凝っていますよね
ここがずーと痛かったんですよ
実はね・・・みたいな話があり終わってから効かなかったという話はなくなるのです。
人間というのはめんどくさくてコンピューターのようにこれだからというロジックでは動かない。
怒ってあげると動く人もいれば、泣いてあげると動く人もいる。
感情の伴ったものがあるから難しい
その人の感情に焦点を当てれば相手の感情も同期するんだという理解ができるようになりました。
共鳴というかそんなものかな
もともと自分自身はうまくもなんともないですよ
東京では現にネットでクレームが入ったりして上司に叱られたりしましたのでね。
長く続けれたのは運としか言いようがない。 -
モチベーションを高めるには
2021年08月28日体の事を仕事にしているので体のことを話すことが多いただ
身体性を語る時に過去の経験から出た感覚で言わない限り嘘になる。
それが若い人とのアドバンテージになる。
戦争をくぐり抜けた人の体には僕らにはない何かがあるし、なにかそういった人を探していたのだと思う。
なぜ探していたかというと、自分自身を形成してくれたものが祖父母だっだと言うのがあるのかもしれない。そんな祖父への恩返しは少なかったかもしれない。祖母は開業まで生きていたので少しばかりは恩返しできたのかと思う。
あの世代の人にはなんだか連帯感が半端なくあると思っているので
知らない祖父母世代の肩をさすっているだけでこちらも落ちついてくる感じする。
けどそんな人が少なくなってきてしまった。
恩返しのつもりの仕事がなかなかできなくなってしまった。
モチベーションを維持するものが少なくなってきた。
モチベーションを維持するのに新たな夢を見る必要があるのかもしれない。
コロナで困っている人を助けるのも一つかもしれないし
若い人を支援していくことも大切かもしれない
見えていない世界をいつも見えるように視界良好で行くためには工夫が必要です。