お知らせ
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マツタケの時期
2022年09月03日こないだ来られた年配の方の亡くなり方について話していました
イヤーピンピンコロリといきたいな
でもなかなか行かせてくれない.
その方の親御さんはこんなことを言っていたらしい
タケノコの生える時期とマツタケの時期にいきたいといわれていた
熱くも寒くもなくみんなに来てもらいやすい時期だからそうだ
ものすごく暑い時期は寒い時期はみんなに迷惑がかかるからだと
といっていたらタケノコの生えるこの時期に亡くなったそうだ。
なんともなくなる時期までもコントロールできるのだろうかとふと思った。ある方の話では病気がちな方がおられてその方が会いたい人がいるといわれていた。
会いたい人に会ったらその帰り道のバス停で亡くなっていたという。
年寄りを安心して喜ばしてはいけないと昔の人は言っていたがそういうことなのかと思った。亡くなっても会うことがあまりできないこのご時世からすると
死の瞬間に立ち会えるというのも
悲しくもがな貴重な経験と言わざるを得ない。 -
安倍元首相銃撃事件について
2022年08月04日今回の事件は決して許される事ではなく、厳正な法の裁きを受けるのは必然です。
ただ犯人の生い立ちや事件の背景を見ていくうちに、なんだか身近な事のように思えてきました。
わたし自身も犯人と同様に幼い時に父を亡くし母が新興宗教に走りました。
また犯人の年齢とも自分は近い。
育ったところが田舎だったので余計に母子家庭で新興宗教は目立っていた。
今から考えると世の中に対しても何をするにせよ背を向けて生きてきたように思う。
犯人自身も同じように苦しく辛い経験だったように思う。
ただうちには祖父母がいたし、そこまで献金するような母ではなかったのでちゃんと子供達にも教育を受けさせてもらう事ができた。
これにはただ感謝しかない。
ただなぜ父は死なないといけなかったのか?
なぜ母は宗教に頼らざるを得なかったのだろうか?
と思うと夜も眠れない事もあった。
父は今のJR昔の国鉄に勤めていた。
真面目な性格で残っているアルバムをめくるたびにその几帳面さをかいまみることができる。
人生の中でたぶんいろんな障害が出てくる中で解決策がお酒だったように思う。
ようはお酒に飲まれていたのである。
よい酔い方ではなく日常を破壊する飲み方だったのだろう。
今でも幼いながらもいなくなった日の出来事は鮮明に思いだす。
直接の原因はなにかわからないが推測だけが未だに一人歩きしているから困ったものだ。
だから母を見た違う世界が見える人には消化しきれていない思いが見えていたらしい。
自分の抱えてきたことを、解決したかのように世の中がよくなるよ。
また父に会えるなどと言われるならば母の気持ちも動いたのだろうと思う。
母はなぜ宗教に走ったのかもそこを紐解くと見えてくるような気がしてならない
そんな母も認知症になり病院のお世話になっている。当然宗教からは遠ざかってしまった。
母は納得のいった人生を送っていたのだろうかといまだに思う。 -
虎をいただく
2022年07月09日今年の干支である虎
あみぐるみをされている方がくださいました。
細かな作業で大変ですが作ってくださいました。
糸もいろんな種類があるんですね。知らなかった。
これからオリエンタルで出迎えます。
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フードバンクに寄付しました
2022年07月08日小さなころは食べるものに必死でした。
お菓子は自由に買ってもらえなかったので
親戚や近所からお楚々分けをたくさんいただきました。
おかげさまで今があります。
少しでも困っている家庭に届ければ
フードバンク岡山 -
死に際にわかること
ちょっとこの業界長くやってきた持論としてあるのが
死に際になると素直になるということです。
死に際になると本能に忠実になり、自分の欲しいものしか受け付けなくなる傾向があり、ありきたりの世辞やおべっかではなくその人そのものが出てくるように思います。
末期になると小さな赤子のように水分しかのどを通らなくなる。
その人のそのものに触れることによって触れてはいけない
墓場までもって行かなくてはならない秘密さえも出会うこともあるのです。
ある人は家族にも言っていない他の子供の話や
ある人は戦争に行ってたくさんの人を殺害した話や
言いたくない、隠したいことが出てくる。
晩年になって自分のことを語る人が増えるのも事実ですし
自叙伝を作ったりするのもそうかもしれません。
なにかを残したくなる。
吉備高原の近所にも自分の公園なるものを手作りで作った人もいた。
故郷というかところに自分のあかしを残したいそういった思いが強く出てくるのではないかと思ってみたりするのです。
素直になると何がいいって素直になることがこちらもできるということです。
へたに下衆の勘繰りを入れなくても済むというものです。
以前来られていた方で真面目でしっかりとした会社の社長さんがいました。
女性の事ばかりを考えてると言っておられました。
はっきり言って正直でびっくりしました。奥さんも亡くなられて一人ではさみしいと
そういったものはなくなっていくのかと思いきやそうではないと・・・
人間って面白い -
業界言葉
2022年07月02日自分でも言っているし、施術を受けに行っても言われる言葉
曲がっていますね。
ねじれていますねいや気になるフレーズですが
もともと思うのですが
まっすぐな人って
いないのですから曲がっていて当然ですし
ねじれていて当然です.
しかしそこに何らかの障害があるなら問題でしょうけれども
ねじれや曲がりも
毛糸が糸を紡いでいくように
ねじれてねじれて
どんどん太くなっていくと
糸になる
その糸をどんどんねじってねじっていくと
綱になる
いやもう綱になったらいいでしょ
ねじりが自然な形
曲がっているのが普通な形
日本人には枯れて曲がった奇形を愛でる盆栽という文化もあるのですから
それをまっすぐにする必要なんてあるのかと
自戒を含めて想ってみる。 -
一人暮らしの孤独
2022年06月13日一人暮らしの長い方を行かせていただいていた。
病気を抱えている身としてはなるべく人様にお世話になりたくないと考えている。
男の方だったもので人に甘えるというのも難しい感じの方だった
今まで自分で簡単にできていたことが一つずつできなってくるというもどかしさは筆舌しがたいものがある。
もっと広い視野で!とか考え方を柔軟に!というのは、病気を重ねた高齢者に届かないだろう。
やり方も自分流のやり方をやってきたから介護や医療関係者とトラブルになることは多々ある。
だからおのずと出てくる言葉は弱音でありマイナスの感情のものばかり
仕事として接するには問題はないが身近にいる身としてはどうも居心地も悪いし、会話の糸口もつかむことが難しいから近所の人や親せきも敬遠していくのだろう。
こんなに頑張って生きているのに何で報われないのだという声なき声がいつも触れるたびに感じることになる。
でもその方の唯一の癒しは猫だった。
その猫のお世話をすることだけが生きがいでもあるようだった。
自分の痛みを辛さもその猫の前でなら素直になれたのだろう。
見たこともないようなかわいがり様だった。
その飼い猫も当然ながら年を取る。
排泄もうまくできなくなりオシメをするようになり歩く姿もよちよちになった。
そうしていたらいつの間にか亡くなってしまった。
猫の仏壇がありそこに位牌があり線香の煙だけがいつまでもたっていた
その数か月後その方も家で生活することが困難になり施設に行かれた。
なんとも猫の力は偉大だなと思う。
自分のふがいなさとともに -
県北に行ってきました。
2022年05月11日GW期間中子供たちをどこかに連れて行こうと思っていまして 息子たちが蒜山に行きたいというので行ってきました。
かなりの人でジャージー牛よりかは人のほうが多かったです。
あとはタルマーニというお店にも行ってきました。
自家製ビールとパンを主に提供しているお店です。
ここもすごい人でした。 -
夢の話
2022年03月31日夢の話をよくされる方が来られた時期があった。こんな夢を見た!あんな夢を見た!
と言われなにか意味があるのか?と問われたが、うまく答えを言えないがままになっていた。以前行かせてもらってる方が亡くなる前に
亡くなった人がたくさん出てきた。
でもなぜかこっちのほうは振り返らないし顔も見えないと言っていた。
まだお迎えは来ないかもと言っていた。余命宣告されていたが頑張って家族のために生きておられた。
その方も夢の話の後数か月で旅立った。最近どうも夢にうちの母がよく出てくる。
初めの方は夢の中で元気に話していたが、いつのまにか顔にモヤがかかったように何もいわなくなった。
そんな夢を何回か見た。
母の思いを感じる頃は顔にも表情があったが、それがなくなると顔の表情さえも無くなっていくような気がする。
この仕事についたきっかけは母の偏頭痛をよくすることだった。
母の世代の知人も病気や亡くなるのを耳にするようになった。いつのまにか年を重ねているんだなと。
母の思いが弱まるとなんだかなんでこの仕事をしているのか?
と考えたくなることもある。
でも最近はただまだ見ぬ自分の発見のためだと思っている。
まだ出会ったことのない感覚や感情をリアルに受け入れたい。
それから次の課題が見つかっていくのだと
夢は自分の宿題かもしれない。 -
毎年応援しています
2022年02月10日コロナ禍で海外で頑張っておられる姿にはすごいの一言
自分が今のみでできることから