お知らせ
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死に際にわかること
2022年07月08日ちょっとこの業界長くやってきた持論としてあるのが
死に際になると素直になるということです。
死に際になると本能に忠実になり、自分の欲しいものしか受け付けなくなる傾向があり、ありきたりの世辞やおべっかではなくその人そのものが出てくるように思います。
末期になると小さな赤子のように水分しかのどを通らなくなる。
その人のそのものに触れることによって触れてはいけない
墓場までもって行かなくてはならない秘密さえも出会うこともあるのです。
ある人は家族にも言っていない他の子供の話や
ある人は戦争に行ってたくさんの人を殺害した話や
言いたくない、隠したいことが出てくる。
晩年になって自分のことを語る人が増えるのも事実ですし
自叙伝を作ったりするのもそうかもしれません。
なにかを残したくなる。
吉備高原の近所にも自分の公園なるものを手作りで作った人もいた。
故郷というかところに自分のあかしを残したいそういった思いが強く出てくるのではないかと思ってみたりするのです。
素直になると何がいいって素直になることがこちらもできるということです。
へたに下衆の勘繰りを入れなくても済むというものです。
以前来られていた方で真面目でしっかりとした会社の社長さんがいました。
女性の事ばかりを考えてると言っておられました。
はっきり言って正直でびっくりしました。奥さんも亡くなられて一人ではさみしいと
そういったものはなくなっていくのかと思いきやそうではないと・・・
人間って面白い -
業界言葉
2022年07月02日自分でも言っているし、施術を受けに行っても言われる言葉
曲がっていますね。
ねじれていますねいや気になるフレーズですが
もともと思うのですが
まっすぐな人って
いないのですから曲がっていて当然ですし
ねじれていて当然です.
しかしそこに何らかの障害があるなら問題でしょうけれども
ねじれや曲がりも
毛糸が糸を紡いでいくように
ねじれてねじれて
どんどん太くなっていくと
糸になる
その糸をどんどんねじってねじっていくと
綱になる
いやもう綱になったらいいでしょ
ねじりが自然な形
曲がっているのが普通な形
日本人には枯れて曲がった奇形を愛でる盆栽という文化もあるのですから
それをまっすぐにする必要なんてあるのかと
自戒を含めて想ってみる。 -
一人暮らしの孤独
2022年06月13日一人暮らしの長い方を行かせていただいていた。
病気を抱えている身としてはなるべく人様にお世話になりたくないと考えている。
男の方だったもので人に甘えるというのも難しい感じの方だった
今まで自分で簡単にできていたことが一つずつできなってくるというもどかしさは筆舌しがたいものがある。
もっと広い視野で!とか考え方を柔軟に!というのは、病気を重ねた高齢者に届かないだろう。
やり方も自分流のやり方をやってきたから介護や医療関係者とトラブルになることは多々ある。
だからおのずと出てくる言葉は弱音でありマイナスの感情のものばかり
仕事として接するには問題はないが身近にいる身としてはどうも居心地も悪いし、会話の糸口もつかむことが難しいから近所の人や親せきも敬遠していくのだろう。
こんなに頑張って生きているのに何で報われないのだという声なき声がいつも触れるたびに感じることになる。
でもその方の唯一の癒しは猫だった。
その猫のお世話をすることだけが生きがいでもあるようだった。
自分の痛みを辛さもその猫の前でなら素直になれたのだろう。
見たこともないようなかわいがり様だった。
その飼い猫も当然ながら年を取る。
排泄もうまくできなくなりオシメをするようになり歩く姿もよちよちになった。
そうしていたらいつの間にか亡くなってしまった。
猫の仏壇がありそこに位牌があり線香の煙だけがいつまでもたっていた
その数か月後その方も家で生活することが困難になり施設に行かれた。
なんとも猫の力は偉大だなと思う。
自分のふがいなさとともに -
県北に行ってきました。
2022年05月11日GW期間中子供たちをどこかに連れて行こうと思っていまして 息子たちが蒜山に行きたいというので行ってきました。
かなりの人でジャージー牛よりかは人のほうが多かったです。
あとはタルマーニというお店にも行ってきました。
自家製ビールとパンを主に提供しているお店です。
ここもすごい人でした。 -
夢の話
2022年03月31日夢の話をよくされる方が来られた時期があった。こんな夢を見た!あんな夢を見た!
と言われなにか意味があるのか?と問われたが、うまく答えを言えないがままになっていた。以前行かせてもらってる方が亡くなる前に
亡くなった人がたくさん出てきた。
でもなぜかこっちのほうは振り返らないし顔も見えないと言っていた。
まだお迎えは来ないかもと言っていた。余命宣告されていたが頑張って家族のために生きておられた。
その方も夢の話の後数か月で旅立った。最近どうも夢にうちの母がよく出てくる。
初めの方は夢の中で元気に話していたが、いつのまにか顔にモヤがかかったように何もいわなくなった。
そんな夢を何回か見た。
母の思いを感じる頃は顔にも表情があったが、それがなくなると顔の表情さえも無くなっていくような気がする。
この仕事についたきっかけは母の偏頭痛をよくすることだった。
母の世代の知人も病気や亡くなるのを耳にするようになった。いつのまにか年を重ねているんだなと。
母の思いが弱まるとなんだかなんでこの仕事をしているのか?
と考えたくなることもある。
でも最近はただまだ見ぬ自分の発見のためだと思っている。
まだ出会ったことのない感覚や感情をリアルに受け入れたい。
それから次の課題が見つかっていくのだと
夢は自分の宿題かもしれない。 -
毎年応援しています
2022年02月10日コロナ禍で海外で頑張っておられる姿にはすごいの一言
自分が今のみでできることから -
新年の幕開け
2022年01月04日 -
給付金の使い道
2021年12月17日給付金の使い道です。
カレーは大好きなので
多文化共生のまち岡山をPRする「カレーらぼ」を作りたいうちの子供と同じ年齢なので
重度の心臓病と闘う小学4年生のゆうちゃん。海外移植手術を実現したい -
じっと手を見る
2021年12月09日石川啄木のじっと手を見るではないけれどもときにじっと手の平をみることがある。
あらゆる線が意味を持っているのかもと思っていたこともあったが
思いを先に線を後にと思いながらやってきた。
ようは未来は作られていくと思いながら
確かに思い描いた完璧な未来ではないにしても朧げながらの納得のいく現在になっているので毎日が楽しくもあり面白くもある。
前に行ったり後ろに行ったりと揺れ動いている。
酩酊しているかのように時に躓いてみたり転んだりもする。
前の自分なら転んでしまった足にケチをつけるもんだが、ケチをつけるのもなんだかな?と思うふしもある。
それが大人になったという事かもしれない。 -
母の認知症
2021年11月20日一昨年より母の様子がおかしくなりました。
以前から病院通いはしていたのですが病院行く回数が増えて
辛い!辛い!と訴えるようになりました。
病院に行ってもどこも悪いところは見つからず
精神的にまいっているのでは?ということで精神科にも受診し
鬱などの症状に効く薬も服用していました。
自分のできることはと思い探しては鍼や整体などをしましたし連れて行きました。
極めつけは物がとられたと言って警察を呼んだことです。
警察の方が来ていろいろ見てもらいましたが取られたような形跡はありません
結局取られたであろう財布はタンスの中から見つかりました。
それからというものの幻覚の症状がきつくでるようになりました。
誰か知らない人がいると言って近所の人に駆け込んでは近所の人から電話がありました。
施設に入る前には幻覚が見えていて見えていない人とずっと話しているような状況でした。
かなり厳格な母でしたので、このように壊れていくことがなんとも不憫でたまりませんでした。
母は助産師でずっと父が亡くなってからは近所の医院で働かせてもらっていました。
その後医院の院長先生がやめられてからは介護施設で働いていました。
もともと助産師でしゃきしゃきした性格でした。
一時期はお産をにかかわる何かをしたいということで
保育園と老人施設が一緒になったところに見学に一緒に行ったりしたこともあり活動的でした。しかし昔から片頭痛があり月の半分は寝込んでいたりしました。
寝込んでいるときには今から考えればよいかどうかわからないのですが
肩たたきで痛いところの箇所をたたかされたものです。
今から思えばそこで一生懸命叩いても仕方なかった。
他のところもたたいていたらと悔やまれますがしかたありません。
母はクリスチャンでしたので戒律や規則に縛られ家族も強要されました。
自分は自分というスタンスが出来上がったのも強制的な母のおしつけがあったのではないかと思っていますし皮肉なことです。
自分の子供に強制的に何かを強いていないかと言えば噓になります。
シングルで育て上げてくれた強い思いがそうさせたのだと思うと少し親になってみて理解できるようになりました。
よく寝込んだ時にでも
母は強しと言っていたのが今でも覚えています。
でも母は強しと少しも思っていませんでした
いつなんときに孤児院とかに行くことになるのだろうと
びくびくおびえていたのも事実としてあります。
早く人並みに生活しなければというのが根幹に芽生えたのもその頃でしょう施設に行くことになった決定的なのは
ほかの家に隠れて出てこなくなったのです。
本人としては何をしているかは後になって分かるのですが
今は何をしているかはわからないような状態でした。
また施設の職員さんと取っ組み合いの喧嘩などもしたりと問題になりました。
携帯が鳴るたびにドキッとしたものです。
体が痛くてどうしようもないのも困りものですが
脳機能が機能しなくなるというものなんだかどうしようもなさを感じます。
そんな中介護施設の方などや近所の方には本当にお世話になりました。
今はコロナであまり病院には行けませんが施設で穏やかに生活しています。
これからも少しでも寄り添うことができたらと思っています。

