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入院されると思うこと
2016年06月21日行かせていただいている方が入院されるケースがあった。
もう少し何か出来ることがあったのではないかと
入院された方の家族からの電話があると悔やまれる。
もう少し感度を高めていれば、ひょっと待てよと考えるきっかけ作りができたら良かったのではないかと思います。
でもどうやって食い止める方法があるのだろうかと考えてみたがこれといったいい案も浮かんできそうにもない。
病気になるからから気をつけてくださいというのがいいことなのだろうか?
でもなんで分かるの?と聞かれそうになる
以前も転んで怪我をされた方を診させていただいたことがある。
よくよく診ると体に歪みができている時があった
誰しもできるが歪みが出来きてしまい、その歪みが頂点に達した時にバランスを崩してしまい弱いところの骨が折れるのではないだろうかと勝手に思っている。
折れた後では後の祭りであるが痛みや苦しさを考えると想像に絶するので
なるべく骨が折れないまでも、その手前で体の異変を気づいたり予防できれば最高だろうと思っています。
それがこの仕事の醍醐味でもあり素晴らしさでもあると思います。
でもその予防ではどこに注意を払うべきだったのかという点である。
気がついていないところをもう少し丁寧に診るとこではなかったのかと。ある方の暴飲暴食に至る過程を見てみると
その方の場合は目的を成し遂げたあとの気のゆるみが暴飲暴食に走らせたのではないかと思っている。
ずっと長い間これだけはしなければいけないこと
これだけは頼まれたことなどがあるとどうしても一生懸命にそれを成し遂げようとします
でもそれが終わってしまった途端に今までに頑張っていたことはなんだろうかと余韻に浸りながら
テレビを見ながらおツマミなんかをつまんでいると食べすぎになってしまったのではないだろうか?
その結果、体に負担が生じてしまい血圧が上がりフラフラしたり寝起きがよくなかったりしたのではないだろうかと
次の目的を作ってあげるとかできれば不摂生ではないにしろ
食べすぎの予防には効果があったのではないかと思います。
でもその人の次の目的を作ることって難しいその人にとっての今までの延長線上に存在しているように思えます
その延長線上を理解しその軌道修正するという行為は
体を触れるということが大いに関係していると思っています
その方にとっては大好きな孫がまだまだ頻繁にたずねてくれるようになるとか、
同じ政治思想の人と力いっぱい話すとか
その人の延長線上にだれかのためという機動装置を押さなければ
良い方向には動き出さないのではないかと思います
新しいことをするのではなくて、
その人の今まだ行っていたことそのバージョンアップをするということが次のステップでしかない。
いろんなお世話をしてきた人は
お世話をしているとこの猫や犬が悪くなるまでは生きていようと努力するし
犬のために散歩というが大体は人間様の運動不足の解消にお犬様がくっついているのではないかと思ってしまうが
それもいろんな意味で予防になっているのであればよしとすべきかもしれない