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オリエンタルフォレストの考え方
2010年07月24日いろんな方を見させていただいて
少し前ですがある方が
最近はいろんな方をじっと見てしまうのです。
と言われていました。
じっと見るというのは
相手もあることですから
目が合う可能性があるのです。
目があってしまうとどうしてもどちらかが目をそらすという行為をしなければいけなくなる。
でも相手をみると言うのは
本当はもっと違った見かたができるのではないかと思ってしまうのです見るというのは相手のその姿そのものの観察によるものですが
相手をゆっくりみるというのは
その方のバックグラウンドが分かるようにならなければいけないのではないかと思ってしまうのです。
分かってしまうと聞くことによるものが省略されるように思うのです。
やはり慣れ親しんだ人だと
その人の一挙手によって気分やその人の状況が分かるものですが
それがやはり慣れていない人だとどうしても
その感覚が鈍ることがあります。よくよく聞いていかないといけない
教えたくないこともあるでしょうし
自分の口からしゃべることが困難な方もおられるとでしょういろんな方がおられるものです。
ですので
やはり何もしゃべらなくてもわかる。
そういった感覚を大事にしたいと今ながらにして思います。自分がこれから老いていく過程における体の変化
これからの社会情勢において変わらなければいけない事柄も少なからず
出てくると思います
その時に
しゃべらなくても分かる感覚があるならなにも恐れることはないと思うのです
自分の体をうまく適合させていくことができたなら
またその順応能力があれば困らないでしょうが多くの人は困ってしまうと思うのです。いつだって素直な心と柔軟な思考を常に持ち合わせていきたいといつもながら思ってしまいます。