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オリエンタルな日常
2013年05月24日施術させていただいている方の年齢が上がるにつれて
でもないが、信心深い人が多い。
宗派を問わず教えに忠実に従っている人がいます。
長い年月を経て、いろんな経験を経て
たどりついた境地みたいなものかもしれません。
ただ若くて信心深い人も感心ではあるのですが
なぜか綺麗過ぎてなじめない
いろんな世の中の綺麗なものも汚いものも
見たいものも見たくないものも経験された人の方が
深く重い感じがするのは僕だけでしょうか。
この鍼灸とかの業界でも信心の如くに忠実に従っている人がある。
そんな人と話すたびに本質を突きとめようと努力されている姿は
とても神々しささえ感じます。
ただ思うに師匠と同じようにしろと言われても決してできたものではない。
なにもない人間が道を切り開いて行くのには
色んな人の助言が必要です
ただ同じ業種や同じ人だけではなく
まったく違った人の意見も取り入れていく必要があるように思います。
道なき道を開拓していくのには孤独です。
孤独の中でただ僕自身が支えられたのは
こうなりたいという欲求からでした。
それは20代の頃
どうしてもこうなりたい!こうしたいという!単純な欲求でした。
見たいものはみてみたい。食べたいものは食べてみたい
お金はないけれども好奇心だけは人一倍でした。
今でも昔の友人から言わせるとオオカミみたいだったとか。
目に毒があるとか言われてはきましたが、自分ではよく分からず
目の前の欲求に忠実でした。しかし家庭を持ち子供ができて少し変化してきました。
今自分の仕事の孤独を支えているのは
心底施術を受けたいと思って受けてくださった人です。
なんにも分からない、どこの馬の骨か分からない
そんな人間に体を預けてくださった人
そんな人が何人もおられます。
その何人もおられる人から、腹の底からの声をたくさん聞いてきました。今までに良かったお医者さんや人はこんな人だったとか。
今までにどんな施術を受けてきたとか
などなどあまりにもプライベート過ぎる事をたくさん聞いてきました。
そんな方が岡山で開業しても何人も散っていきました。
散っていく前の姿は赤子のよう。
その人の人生の中で少しでもなにか残ってくれれば
僕のやったことが無ではないように思います。
最後の言葉には
ウソ偽りのない真実のハラからの言葉が出てきます。
着飾らない、うわべでない
そんな言葉が・・・
そんな本音の言葉が聞きたいから仕事をしているのかもしれません
この数カ月の間でも散っていかれた方がおられます。情がウツる
と昔からいいますが、まさに情がウツっています(笑)
その方の想いも背負いながら
生きていくことが大切かもしれないと思っている
今日この頃。