ブログ
-
母が亡くなって思うこと
2026年01月06日母が亡くなってから、
いろんな方にお悔やみの言葉やメールをいただきありがとうございました。
亡くなって思うのに人間には
社会的な死と肉体的な死があるのではないかと感じるようになりました。
母はずっと仕事をしてきた人で、仕事に大きな意味を見出していました。
だからこそ、仕事を辞めた時点で、生きる気力を少しずつ失っていったように思います。
これが、母にとっての社会的な死だったのかもしれません。
母はとても純粋な人で、考え方も思いも真っすぐでした。
宗教についても深い信頼を持ち、強い思いを寄せていました。
しかし、その純粋さゆえに、自分を変えられない苦しさやつらさにつながっていた面もあったように思います。
その点については、これから私が生きていく上での、ひとつの指針として考えていきたいと思っています。
母にとっての肉体的な死は、
認知症の症状が出始め、
自分一人では生活できなくなったことだったのではないかと思います。
体はもともと丈夫で、入院したこともありませんでした。
食べるものにもとても気を遣い、
自分が気に入ったものや、植物性中心の食事を長年続けていました。
一方で、自分が医療の現場にいたこともあり、
薬に対する信頼は強く、睡眠薬や安定剤などをよく服用していました。
薬箱の中には、常にたくさんの薬が入っていたように思います。
もともと偏頭痛を抱えていたため、
それを和らげるために、子どもたちが頻繁に母の首筋や肩を叩いていたことを覚えています。
これが、私が鍼灸師になろうと思った原点でもあります。
当時は一か所だけを叩くように言われ、その通りにしていましたが、
本来はそうすべきではありませんでした。
全体的な調整を行うべきだったと、今になって悔やまれます。
母は、月に一度ほど寝込むことがあり、1週間ほどするとまた元気になる、
ということを繰り返していました。
それが日常だったため、当時は特に不思議に思っていませんでした。
偏頭痛が激しく、2週間ほど寝込んだときに「お母さん、大丈夫?」と聞くと、
母は「母は強し」とだけ言いました。
その言葉は、今でも心に残っています。
健康にも非常に気を遣っていて、昔から肝油をよく飲んでいましたし、
子どもにも飲ませていました。
クロレラが流行った時期には、それもよく飲んでいました。
アルコールはほとんど飲まず、
ビールも一口飲めば「もういいわ」と言う程度でした。
おそらく、アルコールには弱かったのだと思います。
その一方で、薬への依存が、結果的に自分自身の首を絞めていたのかもしれないとも感じています。お正月のこの時期になると、母の手料理を思い出します。
お雑煮は、ブリとごぼうとほうれん草だけのとてもシンプルなものでしたが、
澄んだ出汁の味が印象的で、今でもはっきりと覚えています。
とても大好きな味です。
年末には親戚や近所の人たちが集まり、みんなで餅つきをしていた光景も思い出されます。こんな時代もあったものと感じながら新しい年を迎えたいと思っています。
ようやく海外に気兼ねなく行けると思うとワクワクします。
そんなワクワクをみなさんにお裾分けしたいです。