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母の認知症
2021年11月20日一昨年より母の様子がおかしくなりました。
以前から病院通いはしていたのですが病院行く回数が増えて
辛い!辛い!と訴えるようになりました。
病院に行ってもどこも悪いところは見つからず
精神的にまいっているのでは?ということで精神科にも受診し
鬱などの症状に効く薬も服用していました。
自分のできることはと思い探しては鍼や整体などをしましたし連れて行きました。
極めつけは物がとられたと言って警察を呼んだことです。
警察の方が来ていろいろ見てもらいましたが取られたような形跡はありません
結局取られたであろう財布はタンスの中から見つかりました。
それからというものの幻覚の症状がきつくでるようになりました。
誰か知らない人がいると言って近所の人に駆け込んでは近所の人から電話がありました。
施設に入る前には幻覚が見えていて見えていない人とずっと話しているような状況でした。
かなり厳格な母でしたので、このように壊れていくことがなんとも不憫でたまりませんでした。
母は助産師でずっと父が亡くなってからは近所の医院で働かせてもらっていました。
その後医院の院長先生がやめられてからは介護施設で働いていました。
もともと助産師でしゃきしゃきした性格でした。
一時期はお産をにかかわる何かをしたいということで
保育園と老人施設が一緒になったところに見学に一緒に行ったりしたこともあり活動的でした。しかし昔から片頭痛があり月の半分は寝込んでいたりしました。
寝込んでいるときには今から考えればよいかどうかわからないのですが
肩たたきで痛いところの箇所をたたかされたものです。
今から思えばそこで一生懸命叩いても仕方なかった。
他のところもたたいていたらと悔やまれますがしかたありません。
母はクリスチャンでしたので戒律や規則に縛られ家族も強要されました。
自分は自分というスタンスが出来上がったのも強制的な母のおしつけがあったのではないかと思っていますし皮肉なことです。
自分の子供に強制的に何かを強いていないかと言えば噓になります。
シングルで育て上げてくれた強い思いがそうさせたのだと思うと少し親になってみて理解できるようになりました。
よく寝込んだ時にでも
母は強しと言っていたのが今でも覚えています。
でも母は強しと少しも思っていませんでした
いつなんときに孤児院とかに行くことになるのだろうと
びくびくおびえていたのも事実としてあります。
早く人並みに生活しなければというのが根幹に芽生えたのもその頃でしょう施設に行くことになった決定的なのは
ほかの家に隠れて出てこなくなったのです。
本人としては何をしているかは後になって分かるのですが
今は何をしているかはわからないような状態でした。
また施設の職員さんと取っ組み合いの喧嘩などもしたりと問題になりました。
携帯が鳴るたびにドキッとしたものです。
体が痛くてどうしようもないのも困りものですが
脳機能が機能しなくなるというものなんだかどうしようもなさを感じます。
そんな中介護施設の方などや近所の方には本当にお世話になりました。
今はコロナであまり病院には行けませんが施設で穏やかに生活しています。
これからも少しでも寄り添うことができたらと思っています。